Air Graphics
2020.3.25 | 四方山話

最近何をやっているのかについて

気がつけば1年くらい放置する形になってしまった。

ちゃんと書かなくてはと思っていたら「ちゃんと感がでるまで書けない」というスパイラルにハマった。確実にやろうとすると必ず手が止まる。

こういうときには勢いが必要で、深く考えずに突き進めばいいのだけれど、どうしても避けてはいけない点があって、そこでひっかかる。

そもそもの内容が間違っていないか、についての裏付けと、写真。

記事の正確性にこだわる理由

何かを残したり伝えたりすることにおいて、内容の確認、裏付け作業は不可欠だ。

とくに最近その思いを強くしている。

というのも、新聞記者やメディアのライターが「事前に原稿確認はさせない。なぜならそれは検閲だからだ」と語り、事実関係の確認を怠り、飛ばした誤報によって炎上するケースを見かけることが増えたから。

プロの記者なのに。プロのライターなのに。

記事の事前確認を彼らは「検閲」と呼んで忌避する。ぼくはそれを監修や監査の類ではないのかと思うのだけれど、彼らは検閲、報道への介入と受け取るらしい。

多くのメディアや出版関係では、内部で記事の矛盾や正確性、言葉遣いのルール、誤字・脱字を確認・修正する「校閲」という工程を踏むのだが、コラムではない、専門性の高いものに関しても正確さを確認することができるかと問えば、どうだろうか? 怪しいってことはないのかな? と思ったりしている。

これは(メディアとは違う)出版社のケースなのだけれど、あきらかに「校閲」部門が機能していないか、そもそも「校閲」されていない小説などをみかけることがあって、世の「校閲」を担う部門は、その能力を落としているのではないかと感じることが増えた。

彼らの専門である「日本語の扱い」ですら怪しいのに「専門外の内容の扱い」が怪しくないと言い切れるだろうか?

ちょっと、自信ない。

あるいは「検閲」という言葉に過剰反応して、基礎的な部分から大きく間違ったあげく、燃えてしまう。さながら誘蛾灯のような働きをする「検閲」は、彼らの冷静さと論理性を削ぐものなのかもしれない。

胸を張って誤報を飛ばす理由を、能力不足と慢心以外に何があるのかと考えてみたところ、謙虚さ不足ではないかという答えにたどり着いたのだが。それは想像の域を超えないものであり憶測なので、小声で呟くにとどめねばと自戒する。

それは自分の言葉で語るため

これまでに仕事の取材で見聞きした限りではあるが、とある専門性の高い業種の方は新聞記者の質について嘆く言葉を口にされていた。

「わかりやすい言葉だけを出さようと注力する人が多かった」のだそうだ。

インタビューイの言葉をわかりやすく置き換えるのは、記者の仕事ではないのか。基礎知識と語彙の不足を脇に置いて、キャッチーな言葉を欲しがるのが記者の仕事なのか、と。

それでいて、記事の事前確認はさせないか、あるいは間違っているとなれば、さすがに愚痴の一つも出ると。

週刊誌はともかく新聞やテレビの内容は怪しい時代になった、あるいは、もともと怪しかったけれど検証する方法が乏しかったのが、可視化されるようになった。SNSでは日ごとにファクトチェックが行われ、伝えられる事柄に間違いが含まれない日はない。

マスメディアに限らず、著名YouTuberやbloggerのコンテンツまでが「根本的に間違っている」と強く指摘される時代だ。出る杭は打たれるというが、いま繰り返されているのは「それが杭ではなく毒牙だ」という打撃であり、その事例は枚挙にいとまがない。

さらに困ったことに、その打撃ですら間違った根拠で行われるケースも多く見受けられる。

なんでこんなことになった?

誤りは正せば良いというわけでもなく

果たして無名で個人的なブログに、完全無欠な正確さが必要かと問われれば「それほどでもない」と答えて構わないだろう…とは思っているのだけれど、専門性の高い有識者の言葉ですら正否が怪しいとされる日々である。「何を信じていいのやら」とつぶやかずにはいられない自分は、せめて自身の経験に基づくことについて、確実さをもって記しておきたいと考えている。

少なくともグラフィックデザインに関わるTipsを取り扱っている以上、それらの知見が未熟ではあっても、より正確でありたい。

どうしてそこにこだわるかといえば、一旦入った知識は上書きが難しくなるケースがあるから。また、加齢によって知識の更新は難しくなっていくから。

かつて日本でバブル経済が破綻したとき、50代だか60代のとある人が
「バルブがはじけて」
という言葉を繰り返し語り続けた光景を、ぼくはいまも苦々しく思っている。

滑舌の悪さではなく、「バブル」を「バルブ」とインプットしてしまい、10分間に10回以上「バルブ」と言ったあの人のことを笑えない。「インストロール」とか「ディスクトップ」を繰り返す人のことも同様だ。

一旦身についてしまった「何か」を上書きできないままの人が存在する以上、誤りを減らす努力が必要不可欠ではないかなぁと思う。ある意味、これもユニバーサルデザインではないかと思うのだけれど。

だからできるだけ正確でありたい、と願っている。

美しく飾るために

そして、もうひとつの理由、写真。

Tipsには写真があるとカッコイイのだが、ちゃんと準備しなくちゃいけないので、どうしても億劫になる。勢いでやっちゃえばいいのだが、体裁は整えるべきなのだ。

デザイナーがコンテンツ内で取り扱う写真は、テキトーなスマホ写真ではいけない。自分の専門分野にクォリティを疑われるものを採用してはいけないんである。

かといって、ストックフォトの利用には消極的だ。美しいからとはいえ、それだけを利用の根拠にはできないし、文脈みたいなものもある。

ノウハウを紹介するブログを見ていると、本編とまったく関係ない写真がお茶請けのように差し込まれていることがある。

あー、これストックフォトだなぁ、でもなんで外国人? みたいな写真もあったりして、思考が停止する。読ませるブログテクニックみたいなものに紹介されているのかもしれないが、記事の邪魔にしかならないのでぼくは使わない。視線が散るというか、動線が遮られるというか、そもそもデザインに関わる人はそんなわけわからん写真を入れないものだ。

ぼくらの業界だとウェブ屋さんのブログに多い印象があるのだけれども、仮にもデザインを扱う業種なのに、そんなんでいいのかなぁ、と思う。それで集客できるのだとしても、そこには発注しないだろうなぁと考える。根本的な部分で思考に差異が生じる気がしてならないから。

そんなわけで

と、まあ。

バカみたいに長い前段をひとことでまとめると「間違ったこと書けないし、ちゃんとしなきゃって考えたら停滞した」このブログではあるけれども。「そろそろお目覚めの時間だよ、春になったことだし、芽吹くべきだ」と自分に声をかけることにした。

ともかく、近況のアップを再始動の狼煙とするのだ。

アメブロをはじめました

このブログは止まっていたのだが、実は裏でアメブロを始めていた。

アメブロでは「もっとユルく」をコンセプトに、こちらよりもわかりやすい記事を揚げて様子をみている。

一般的な人が利用するサービスなので、「です・ます調」を採用してやわらかく書くことを心がけることにした。

https://ameblo.jp/airgraphics

アメブロの画像

アメブロのキャプチャ。
配色を当ブログと同じにしているため
背景色がイケイケになってしまったので
グレーの罫線で囲ってみた。

集客をがんばっているわけではないので、アクセス数は低迷している。実に当然の結果ではあるのだが、積極的なアプローチを避ける理由が、ひとつある。

なんというか、ブロガーのみなさん、すごくギラギラしていて、なんだか居心地が悪いのだ(笑)

兎にも角にもパワフルで、読まれるための工夫をものすごく盛り込んでおられるのだけれど、どうも自分が培ってきたPR方法より「盛る」傾向が強い。「確実に売れる方法」をとにかく突っ込むため、おなかいっぱいな感じが強い。それらを凌駕する、つまりページビュー上位に食い込む気力は正直いって無い。

デザイナーは要素を削りたがる。

「それ、いま必要です?」

という質問を、クライアントにはしなくても、間接的に関わるアカウントエグゼクティブやクリエイティブディレクターに向けて投げつづける生き物だ。

「嘘・大袈裟・まぎらわしい」は避けるべしと習った我々の業界。盛らずに楽しませる・唸らせるをモットーとする制作方針とは真逆のベクトルに満ちるブログ界、というものをまざまざと見せられた。

なるほど、デザイナー・クリエイター関係者がこぞってnoteを利用する理由はコレか。

ぽん、と膝を打ったのだった。

noteはシンプルで(一応のところ)冷静だ、と感じられる。洗練された記事も多い。その結果、収入に結びついている著者が存在するのも頷ける。

ホント、なんであんなに書けるんだろうね、note利用者って?

利用のきっかけ

ちなみにアメブロを始めた理由は、ブログのカスタマイズについて相談されたから。

アメブロにはカスタマイズ機能が備わっていて、ユーザーは3つの方法でブログを自分らしく装飾できるようになる。

  • アメブロ側から提供されるテンプレートを使う方法
  • ユーザーが独自にCSSを適用する方法
  • 独自CSSを作成できるウェブデザイナーに依頼する方法

つまり、ぼくは3つ目の選択肢として採用されたのだった。

さて、アメブロなどで使われるCMS、つまりブログツールは使ってみないと挙動がわからない。

これはWordPressでも同様。

実際にどんな表示になるのかを想像しながらカスタマイズするのは難しい。いや、できなくはないんだろうけれど、ぼくは真田志郎さんではなかったのだ。一回ぐらい「こんなこともあろうかと」などと口走ってみたいものなのだが。

挙動を見ながら調整することが望ましいので、Google Chromeなどのデベロッパーツールを使ってCSSを調整することになる。

デベロッパーツールの画像

いつもお世話になっています。
デベロッパーツール。

自分以外の人がどんなふうにブログを使うのか? を考えると、用意されているブログの機能はすべて使われる可能性がある、という結論にたどりつく。

画像を入れたい、
動画を入れたい、
アフィリエイトは?
リンクやアイコンは?
一覧表示はどうなるの?
プロフィールページはどう見えるの?

実際に画像や動画、アイコンなどを入れた記事をたくさんアップして、その挙動を確かめてみる必要がある。

そういうわけで、ぼくのアメブロは急激な記事増加を果たすことになった。

この作業はアメブロだけでなく、WordPressの挙動もふんわりつかむことにつながったので、やっててよかったなとは思う。ポストを続ければ続けるほどWordPressで使うダミー記事が増えるのだから一石二鳥だ。

どこかのサイトから文章をパクって拾って使うようなことは避けたいし、青空文庫のような著作権切れコンテンツを使うのも気が引ける。

そういった流れで、ぼくはアメブロユーザーになった。

ページビューは少ない。

一番リピートしているユーザーは身内だったりする。

「いや、あなた、ぼくの業界の話を読んでも、専門用語だらけでなんのことだかさっぱりでしょ?」
と、思わなくはないのだが、でもしかし、
「熱烈な読者は身内でした」
というのは、むずがゆくも嬉しいものだったりする。

理解者はクリエイターを成長させる…んじゃないかなぁ。第一番目のレビュアーなので、一般人の反応がうかがい知れるという点においても助かっている。

少なくともぼくは、そういった存在に救われているのだなと、深く思う。

とはいうものの、ぼくがクリエイターであるのか? という疑問については、この記事で触れるつもりがないのだけれども。てへ。

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